Cyclo-Cross World Championship 2006
Junior

オランダ・ゼッダム
1月28日 40分
竹之内 悠 (立命館宇治高校)

今回の世界選には自分にとって熱いものがある。

去年のこのシクロ世界選では大変悔しい思いをした。

去年は初の世界大会で、
それに、初めて日の丸を背負って走れるということが、とても嬉しくて、
皆からそこそこ良い所に食い込んで行くんじゃないか、と
言われていたので、すごく期待して走った。

けれど、初の世界選で焦ってしまい、何回もコケてしまった。

しかし、今回はジュニア最後の世界選だし、
去年の感じで、ある程度は行けるのもわかっている。

先週のワールドカップでは19位でトップとの差が1分以内だった。
あの程度の走りで、それくらいの順位なら僕はもっと上に行けると思った。
まだまだ力は出せると思う。

僕は今回、本気で日本国歌を表彰式に流したいと思う。
これは別に不可能なことではないと僕は思う。

頭の中のイメージは出来あがっている。
僕なら出来る。そう思う。


この世界選で、僕は日本という国のイメージを
今の「速くない」というイメージを、壊したい。

やっぱり毎度、日本のことを軽視されている目線が悔しい。
僕はあの目線が嫌でたまらない。
そんな目で見るやつの度肝を抜いてやりたい。
日本の社会、自転車界に新風を吹かせて
自転車というスポーツをもっと多くの人に知ってもらいたい。
これが今回の出場する大きな目標だ。

日本の代表として走るのだから、良い走りをしなかったら
それが直接、日本のイメージになる。
僕の走りが日本のイメージを変える。

だから、本当にみんながすげぇと思う走りをする必要がある。
僕は今回の世界選のために、
去年以来、一年間、トレーニングを積んできた。
積み上げてきたものは大きい。

この一年で僕は自分でも感じるほど強くなった。
今は自分にすごく自信がみなぎっている。

少なくとも絶対に1桁に入りたい。
この世界選には多くの人が応援してくれている。
この人達の期待を良い意味で裏切れる走り、
自分に胸を張れる走りをしたい。
背負っているみんなの期待が心地良い。


出場したレースの展開・ながれ 

今回も去年同様、国別ランキングで2列目に並ぶ事が出来た。
コースは去年と同じように凍っている。
僕は先週のワールドカップで、スタートが少し遅れ気味だったので
今回こそは最高のスタートを切ろうと思っていた。
いざスタートラインに並ぶと、すごく窮屈できついなと思った。
けれど、僕は出来ると心の中で思った。
だって、上位に入る男だから。

僕はスタートの不安とワクワクと
少しの緊張を胸に、スタートを今か今かと待っていた。

遂にスタート。
僕は良い感じに加速していった。
これならいける。そう思った。

しかし、その瞬間に突然、後輪がロックした。
何が起きたか分からなかった。

後ろを見ると人が倒れているのが見えた。
けど、それと、僕の後輪のロックとが関係しているのがよくわからなかった。

再度、漕ぎ出すと、こげたけれど、すぐにロックしてしまう。
自分の自転車がどうなってしまったのか訳がわからなかった。

周りを選手がガンガン抜いていく。
僕は止まった。

自転車を確認した。
後輪が外れている。

この時は理由など考えている暇などなかった。
僕はひどく焦っていた。
直すのに少し手間取っていた。

すると後ろからスタッフが数名、
ダッシュで走ってきてくれて、後輪をちゃんとはめなおしてくれた。

僕はすぐに自転車に飛び乗り、再スタートした。
周りの観客はみんな僕を見ていた。
アナウンスからは僕の名前をコールしているのが聞こえる。
前には選手が少しも見えなかった。

僕はこの瞬間に、自分が今、陥った状況をやっと理解した。
終わった。そう思った。
今まで必死に積み上げてきた全てのもの、
みんなの期待、それらが同時に崩れ去ったのを感じた。

僕はそれを受け入れがたかった。
まだ行ける。僕はそう思った。

けれど、遠くの方から観客の歓声が聞こえる。
かなり遠いみたいだ。

1ケタの夢、表彰台、そんなものを考えていたのがアホらしく感じた。

僕はとりあえず走るしかなかった。
少しでも前に。
僕が走るべき場所に戻りたかった。

急勾配のテクニカルなエリアに差し掛かった。
もう集団にはとりあえず追いついたけど
さすがにこのあたりの順位の人は遅い。
僕は突っ込んでしまった。

この順位だと、今までの速くない日本のイメージのままじゃないかと思った。
周りの歓声もそういう類のものに聞こえた。

悔しい。
僕はひとりでも多くパスすることだけを考えた。

悔しい。
その力が僕を焦らしもしたし、速くもした。


僕は数名をパスしながら順位を少しだけ上げていた。
立体交差に差しかかった。
僕は周りが遅いのでイライラしていた。

そして立体交差の下りで抜きに出た。
すると相手がラインを外して僕のラインに入ってきた。

体が接触し、僕は弾き飛ばされた。
コーステープを引きちぎり、撮影用バイクのコースに倒れた。
僕はこの瞬間、かすかな望みさえも断たれた気がした。

戦意が喪失した。
何をしてもだめなのか。
自分の無力感に襲われた。
「何をやってんだ、おれは。
こんな走りをするためにわざわざオランダまで来たのか。」
そんな思いが自分の頭の中にあった。

コケた衝撃でハンドルが曲がったため、
ピットに入り、自転車を交換した。

僕は本当に悔しくてたまらなくて、一気にペースを上げた。
もう全開だった。

あとの事なんて考えても意味がない。
ある意味、もう試合は終わっているんだ。
ぶっ倒れるまでこいでやろうと思った。


僕は前に見えていた集団を追った。
2周目に入り僕はまだ最後尾付近を走っていた。

けれど、前に選手がいるなら、後ろに付くなんてことはせずに
躊躇無く抜き去った。
今思うとすごく集中していた。
焦ってはいなかった。
もしくは、焦ると言う領域を越えていたのかもしれない。
一回、絶望したからかもしれない



2周目はまだ皆が元気だったため、
そんなに多くの人はパスできなかった。

3周目、僕は前に見えている人をとにかく抜いた。
トラブルなんてなんにもなかった。
僕は関西シクロを走っているみたいだなと思った。
ただ単に自分との戦い。
僕は自分と勝負しに来た訳ではない。
世界と戦いにきたんだ。
「主旨が違うじゃねぇか」と思った。

こげる所はとにかく全開だった。
タイムアタックをしている状態だった。
周を重ねるごとにコースの氷が磨かれて、とても滑りやすくなった。

コーナーは安全に攻めるしかなかった。
コーナーを曲がると、前を走っていたパックが
まとまってこけているなんて事があった。

3周目もその調子で走り、4周目、
ラスト2周目、さすがに体力的にきていた。
一定のペースである程度前を走っていれば良いんだけど、
僕は始めのトラブル後に猛烈に順位を上げたのと
次にコケてからまた前に上がっていくので
かなり体力を使っていたらしく、そう簡単に相手をパスできなくなった。

けれど、ココで踏ん張れば、「何かが掴める」そう思った。
この時にパックの遅いペースに引きずり込まれそうになった。
なんとかこの微妙なペースの集団をちぎった。


ラスト一周の5周目、僕は舗装路の所で数名のパックを抜かした。
けれど、僕についてきた。
僕は後ろは眼中になく、とりあえず1人でも多く食ってやろう思っていた。

前にちょうど、追いつきにくそうな距離にUSAが見えた。
「絶対に抜かしてやる」心に決めた。

去年は前を走るLUXを抜けなかった。
あの時、正直、自分に負けた。

今回は負けてはダメだ。
僕は必死に追った。
そして早い段階でパスすることが出来た。

僕の後ろに何人かついてきてた。
少し気にかかった。

このままだと、もしかするとスプリントで負けるかもしれない。
けど、この時は自分に後ろをちぎれる自信があった。
ペースを上げた。

前にGBR(イギリス)が見えてきた。
抜きたい。
けど、ゴールまでに自信があった。

ペースを上げた。
前にGBRが見えてきた。
抜きたい。
けど、ゴールまでに時間がない。

僕はかすかな可能性だけを信じて、こいだ。
近づいてきているけど追いつかない。

悔しい。
僕は追いつけないままゴール。
終わった。

自身の走りとレース後の感想
ゴール後、体から抑えていた気持ちが湧き出てきた。
矢野監督が出迎えてくれた。

「よくやった」
確か、そう声をかけてくれたと思う。

申し訳ない。
そう思った。
僕はその場に居れなかった。
あまりに悔しくて、自分の気持ちを隠せなかった。

「終わった」
この言葉が自分の頭の中をぐるぐる回っていた。
隠し様もない事実。
チャンスをものに出来なかった。

澤田さんにも肩を叩いてもらった。
それがあまりにその時の僕には嬉しく、
そして辛く自分の心に響いた。

泣いた。
あんなに泣いたのはいつぶりだろう。
自分の力を発揮できなかった。

日本を変えれなかった。
積み上げてきた全てのものが水の泡になった。

悔しいなんてものでは収まらなかった。
僕は今までのお世話になった方たちにどう顔を合わせればいいのだろう。
何も出来ない自分がいた。

みんなの所に戻り、お礼を言った後、車に1人で入った。

ステージではオランダ国歌が鳴り響いている。
なんで今、自分がこんなレンタカーの中にいるのだろう。

いるべき場所が違う。
国歌が違う。
日本の国歌じゃない。
このオランダ国歌が流れている事実が辛かった。
そう思いながら世界選が終わった、ほんとに終わったんだと思った。

今回の走りは、「どうだった?」と聞かれても返事に困る。
なぜなら、試合をした気がしないからだ。

結果は33位。
自分でもまぁまぁのとこまでは上げたんだなと思う。
周りの方はよく挽回したと言ってくれるけれど、
僕はこんな順位なんて欲しくもなかった。
あげると言われてもいらない。
僕はこんな順位で収まるような走りを目指していたんじゃない。
自分の目的を全く果たせていないので結果も何もない。

このレポートを読んだ方は、少し言いすぎかと思うかもしれないけれど
僕にとってはこの結果としての結果はDNFと何も変わらない。

挽回したと言うのは、自分の精神的な面で挽回した
と言う方が正しいかもしれない。

けれど、一回こけた時に少し、戦意を落としたのが悔しい。
ファンの皆さんに尊敬されるような態度ではなかったと思う。
申し訳なく思う。
こんな気持ちになってしまったのは、まだまだ
「失敗しても何度でも向っていく」という力が足りなかったと自分では思った。

あと、他に反省すべき点は、スタートのアクシデントのあとに
変に焦って選手をパスしたことだ。

あの一瞬だけもうちょっと落ち着いていれば
もっと上に入っていけたはずだ。
それが今回の反省すべき点だ。

もうちょっとペースを持続する力、直線のスピードが必要だなと思った。
僕の走っていた選手は関西シクロとなんら変わらないくらいに遅く感じた。
やっぱりあれくらいの順位の選手と比べると
僕はもっと上の領域にいることは間違いない。

ワールドカップの結果と見比べても
10位台前半に、僕と同じくらいだった選手の名前があるので
実際はそれくらい、1ケタには確実に入れていただろう。
まぁ、後からは何とでも言えるけれど、僕はそう思う。
ジュニア上位と自分は遠いとは思わないが近いとも思いがたい。
けれど、波にさえうまく乗ればすごく近い位置に居ると思った。
まぁ、シクロに関してのことだけど。


今後への抱負

今回の世界選後に思うのは来年からはアンダーで
時間もレベルも一気に上がるけれど、まだ不可能ではない。
この世に不可能なんて文字はない。
自分の心の中で抑えているだけだ。
僕はU23でもやるべき事をきっちりこなしていけば、
あの領域で走れないことは絶対にないと思う。
僕はU23でも、1ケタを狙ってガンガン攻めていきたい。
今回、U23の走りを見て、これならいけそうと思った。

理由としてはU23の上位で走る自分が
もう頭の中で描けているからだ。
絶対にいける。

とりあえず、来年はU23にもまれながら、
きっちりある程度の順位を獲る。

最後に、今回のこの世界選手権のために
スタッフとして来て頂いた矢野監督、澤田コーチ、
メカニックの中津さんと松井さん、広報の熊本さんと絹代さん、
ほんとうにありがとうございました。

そして、応援して頂いた全てのファンの皆さん、
期待を裏切ってしまうような形の結果になってしまってすみません。
申し訳ないです。
僕はこれからもあきらめずに何度でも走り、
皆さんの感動を得る最高の走りを続けて行きますので
応援よろしくお願いします。
ありがとうございました。